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スリランカの世界遺産一覧!あの「シーギリヤロック」や「聖地」の歴史や特徴を徹底解説

スリランカ世界遺産徹底解説

『インド洋の宝石』スリランカ。
北海道の約0.8倍という小さな島国でありながら、海と密林の豊かな自然、2500年の歴史を刻む壮大な遺跡、そして今も人々の暮らしに息づく伝統が凝縮されています。

この記事では、そんな魅力のつまったスリランカの「世界遺産」を一挙ご紹介!通常の世界遺産紹介とは一味変えて、「遺跡・遺産自体の歴史が古い順」に並べてご紹介します。上から順に読むだけで、スリランカの数千年にわたるダイナミックな歴史を丸ごと体感できますよ!末尾のスリランカ豆知識・Q&Aもぜひご覧くださいね♪

Contents

スリランカの世界遺産の特徴

スリランカの世界遺産の特徴

はじめにスリランカの世界遺産の特徴、またその魅力について簡単に説明します!

スリランカで1番有名な世界遺産は?数はいくつ?

スリランカの世界遺産としてもっとも注目される存在と言えば、なんと言っても「シーギリヤロック」!天空の宮殿としてそびえ立つ遺跡の迫力はとても壮大です。

そんなシーギリヤロックを筆頭に、スリランカでは2026年時点で「文化遺産が6件」「自然遺産が2件」の計8件が登録されています。

文化遺産の特徴と観光ポイント

キャンドル

スリランカの文化遺産は、紀元前から脈々と受け継がれる「深い仏教の信仰の歴史」、そして貿易拠点としての「東西文化の融合の歴史」を証明するものと言えます。

特に「文化三角地帯(カルチュラル・トライアングル)」と呼ばれる、島の中央部に位置するエリアには、主要な仏教遺跡がギュッと集まっているのが特徴です。

シーギリヤロックもこの文化三角地帯エリアに含まれます。見どころとなる遺跡が集中しているため、シーギリヤを起点にすることで多くの遺産に訪れるプランニングもおすすめ。この気軽な距離感もスリランカの旅の魅力です♪

自然遺産の特徴と観光ポイント

熱帯雨林のセイロンヒョウ

自然遺産は、大陸から切り離された島国であるため、独自の進化を遂げた動植物がそのまま残ったという点で大きな特徴があります。またコンパクトな国の中で「熱帯雨林」から「冷涼な高地」まで有しており、生物の多様性と固有種の多さで知られています。

これらの自然は、同時に多くの野生生物を守る懐でもあります。スリランカは非常にダイナミックな自然を有するため、自然遺産+サファリをメインで訪れるプランニングも実はおすすめです。

 

スリランカの世界遺産を一覧でご紹介!

スリランカの世界遺産紹介

本記事の冒頭にも記載しましたが、ここでは世界遺産の「登録年」ではなく、「遺跡自体の歴史の古い順」で記載します。

世界遺産としての特徴だけでなく、スリランカの歴史を通じてその世界遺産の持つ価値が伝わりやすいかと思います!カッコ内は登録年になります。

聖地アヌラーダプラ/文化遺産(1982年登録)

アヌラーダプラ ランカラマの仏塔

【2500年を刻む最初の聖都アヌラーダプラ】
スリランカの北中部に位置する世界遺産アヌラーダプラは、紀元前5世紀から約1000年の間、シンハラ王朝の「最初の首都」として栄華を極めた古代聖都市です。スリランカ仏教の始まりの地であり、今なお絶大な信仰を集める生きた聖地でもあります。

この都の最大の象徴は、そのたもとでブッダが悟りを開いたとされる、インドの菩提樹の‘分け木’として植えられた「スリー・マハー菩提樹」です。伝承によると、この分け木は仏教を保護したアショーカ王の娘により持ち込まれ、王の手で紀元前288年に植えられたとされています。人によって植えられた世界最古の樹木であり、樹齢はゆうに2000年以上。今もなお、聖なる木として大切に守り継がれています。

そして驚くべきことに、アヌラーダプラは同時代のローマ帝国と直接貿易がありました。初代ローマ皇帝アウグストゥス帝などの本物のローマ金貨・銀貨がザクザク見つかっており、それだけでなく、インド、ギリシャ、エジプト、ペルシャ、中国の商人が行き交う、当時世界で最も国際色豊かな貿易都市であり「グローバル経済の中心地」だったんです!

アヌラーダプラの遺跡エリアは広大で、輝くような「ルワンウェリ・サーヤ大仏塔」の白い仏塔をシンボルとし、ピラミッドに次ぐ世界最大級のレンガ造りの建造物や、高度な治水技術の遺構が残っています。

ダンブッラの黄金寺院/文化遺産(1991年登録)

ダンブッラの石窟寺院の涅槃仏

【血脈をつないだ聖なる岩山ダンブッラ】
紀元前1世紀になると、アヌラーダプラは南インドから大規模な侵略(タミル人の侵入)を受けることになります。当時の王(ワラガムバーフ王)は王都を追われ、ジャングルの中にそびえ立つダンブッラの巨大な岩山の洞窟に身を隠しました。王が洞窟に隠れ住んだ期間は、なんと14~15年間にも及びます。

その間、そこに住んでいた仏教の修行僧たちは、王の存在を敵に隠し、食事を分け与え、命がけで守り続けたとされています。生々しい表現をすれば、これは「極限のサバイバル生活」でした。洞窟の闇とマラリアに怯え、泥水をすすりながら木の実やキノコを食し、飢えと侵略を恐れながらの歳月です。

この苦難を経て、王は反撃、アヌラーダプラの王座を取り戻すことになります。そして王は「僧たちと洞窟への恩を絶対に忘れない」と誓い、剝き出しの岩窟を壮大な「ダンブッラの石窟寺院」へと生まれ変わらせました。

ダンブッラの面白い所は、後世の歴代の王たち(ポロンナルワ王朝やキャンディ王朝の王など)もこの石窟寺院を大変敬ったことにあります。時代とともに巨大な涅槃仏、純金で覆われた仏像群などが競って奉納され、特に壁画は宇宙を感じるほどに美しく壮大です。今日見られる世界遺産ダンブッラは、王たちの熱い想いによって、2000年の間造営が続けられた、その集大成なのです。

古代都市シーギリヤ/文化遺産(1982年登録)

シーギリヤロック

【狂気と悲しみの天空の宮殿シーギリヤロック】
その後のアヌラーダプラはまさに「黄金時代」とも言える栄華を誇りましたが、5世紀に凄惨なクーデターが起きます。身分の低い母のもとに産まれ王位継承権の低かった王子カッサパが、平穏な都を血に染め、父王を殺害し、王座を奪い取りました。正妃の子であり正統な跡継ぎであった弟はインドへ亡命。

カッサパは王位についたものの、弟の復讐を怖れ、親殺しという大罪に心を病み、誰も攻め込めないジャングルのど真ん中、高さ200メートルの巨大な孤立した岩の頂上に遷都を決めます。これこそが王の執念が生んだ天空の要塞都市「世界遺産シーギリヤロック」の始まりでした。

実は、古代仏教にはアラカマンダと呼ばれる「豊かな理想郷」「神々の楽園」といった概念がありました。王はこれになぞらえ自らを「神」とし、絶対安堵の楽園として宮殿を造営します。建設期間はわずか7年間でしたが、500体以上描かれたとされる「シーギリヤレディ」の壁画、超高度な治水システム、ライオンの姿を模した巨大な城門などが構えられ、想像を絶する贅沢三昧の生活をしていたというのですから驚きです。

その後11年目に弟に敗れ、カッサパは自害。狂気の都シーギリヤロックは打ち捨てられ、長い間ジャングルに埋もれ、忘れ去られた存在となります。そして1800年代になって偶然、5世紀の都市計画や宮殿建築が「タイムカプセルのように当時のまま綺麗に残った」姿で再発見されたという稀有な歴史的舞台の遺産です。

ちなみに再発見したイギリス人は、天女の壁画を見て、「ハーレムだ!」と思い込みました。今でもシーギリヤをインターネットで調べるとそうした情報を得られることがありますが、そのような証拠は一切ないんです。訪れた際にはぜひ本物のシーギリヤレディたちの、清廉な表情や優雅な手元をご覧になってみてくださいね!

古都ポロンナルワ/文化遺産(1982年登録)

ポロンナルワの釈迦涅槃像

【水を制した王と芸術の都ポロンナルワ】
アヌラーダプラは、南インドの再びの侵略によって1000年以上の歴史に幕を閉じます。そこへ11世紀になってスリランカの新しい首都となったのがポロンナルワです。最初の聖地アヌラーダプラが「信仰と伝統の都」なら、ポロンナルワは洗練された文化が花開いた「美と芸術の都」でした。

ポロンナルワを繁栄させた王は屈指の名君とも呼ばれ(パラークラマバーフ大王)、政治的にも軍事的にも、その都市計画も宗教政策もとにかく優れていたという伝説があります。

そもそもこの地は乾燥地帯です。王はここに「天から降る雨の一滴でさえ、人間に役立てられることなく海に流れ込んではならない」という格言をもって、165以上の巨大貯水池、3910の運河、163のダムを建設・修復し、国を米輸出大国へと発展させます。都の大貯水池は広すぎるという驚きをもって、なんとサムドラ(海)と呼ばれています!

また王は「ガル・ヴィハーラ」と呼ばれる、スリランカの仏教美術において最高傑作と称される岩窟寺院を造営しました。ひとつの巨大な花崗岩の岩肌をそのまま削って、4体の美しい仏像が彫り出されていますが、その天然のマーブル模様が浮き出ている様はひときわ優美です。アヌラーダプラ時代に比べても、繊細でエレガントな装飾が街を彩っていた、それが世界遺産ポロンナルワです。

聖地キャンディ/文化遺産(1988年登録)

キャンディの仏歯寺の参拝者たち

【シンハラ王朝最後の古都キャンディ】
13世紀になると、またしても南インドからの侵略を受け、南へ南へと遷都を繰り返す時代となります。最終的に16世紀になって首都として落ち着いた都が、今日の世界遺産キャンディです。王はここで「お釈迦様の歯(仏歯)を持つ者が正統な王である」という掟を忠実に実行し、「仏歯寺(ダラダー・マーリガーワ寺院)」を建て、守り抜いてきた仏歯を祀りました。

これまで触れてきましたが、実はスリランカの歴史のすごみは、南インドからの絶え間ない侵略や、16世紀以降の欧州列強の脅威にさらされながらも、紀元前5世紀(アヌラーダプラ王国の建国)から1815年にイギリスに滅ぼされる(キャンディ王国の終焉)まで、2300年以上、シンハラ人の王朝が綿々と続いてきたという点にあります。

そのシンハラ王朝の最後の砦として、聖地キャンディはその独立を頑強に維持し続けますが、激動の歴史を経た末の19世紀に終焉を迎えました。

王朝は倒れましたが、守り抜かれた豊かな文化と誇りは、脈々と受け継がれています。キャンディは今でもスリランカ人にとっての精神的な首都とも言え、仏歯寺から響き渡るプージャ(お祈り)は、数千年変わらない、揺るぎのない純粋な信仰そのものです。

ゴール旧市街とその要塞群/文化遺産(1988年登録)

ゴール旧市街

【世界の縮図が息づく要塞都市】
アヌラーダプラが栄えた古代から、スリランカは「海のシルクロード」の重要拠点であり、ゴールもまた世界をつなぐ天然の良港として栄えました。アジア、中東、ヨーロッパの中継地点として様々な文化が交じり合い、13~15世紀には、「東方見聞録」で知られるヴェネツィアの商人マルコ・ポーロ、モロッコの大冒険家イブン・バトゥータ、明の大艦隊を率いた鄭和も、この同じ海を眺めたとされています。

現在の世界遺産ゴールの景観は、16世紀にポルトガル人の築いた要塞が基礎になっています。その後17世紀にオランダが大規模に拡張、18~19世紀にはイギリスが統治という、めまぐるしい歴史を歩みました。欧州も一枚岩ではなく、ポルトガル=カトリック(イエズス会・フランシスコ会・ドミニコ会)、オランダ=プロテスタント、イギリス=英国国教会を掲げて対立していました。

ゴールの面白みは、そんな歴史の移り変わりのなかでシンハラ人=仏教、タミル人=ヒンドゥー教、アラブ系イスラム教徒といった人々も同時に多数存在し、「世界の縮図」のような無数の勢力が、狭い城壁の中でひしめき合って生きていたところにあります。ゴールの魅力は単にコロニアルシティ(植民地都市)であることでなく、対立の歴史を包み込み、人々が共存していくしなやかな強さです。

そしてゴールは今、歴史の重なりという魅力を昇華し「スリランカの最先端」とも言えるほどの変化を遂げています。古い建物をリノベーションしたモダンな内装のラグジュアリーホテルやカフェが増え、新鮮な食材とスリランカの恵みを余すところなく使ったお料理やデザートも楽しめます。また天才建築家ジェフリーバワのゆかりもあり、アートやビーチのハイエンドな層のコミュニティも生まれ、年々注目度が上がっています。

かつての城砦はいまでは世界中の旅人や地元のカップルが、美しいインド洋に沈む夕日を眺めるスポットへと展望を遂げていますよ♪

シンハラジャ森林保護区/自然遺産(1988年登録)

世界遺産 シンハラジャ森林保護区

【原生林が覆うライオンの森】
スリランカの自然遺産としては、シンハラジャ森林保護区が有名です。ここは古くからスリランカの人々に「ライオンの王国(シンハラジャ)」として神聖視されてきました。急峻で入り組んだ丘陵地帯だったため、18世紀以降周辺の森が紅茶やゴムのプランテーション(大農園)に切り拓かれるなかでも、このエリアだけは奇跡的に人の手が届かず原生林として残りました。

丘陵地帯で標高は高くなく、密生した熱帯雨林の、いわゆる「ジャングル」です。森に自生する樹木の60%以上が固有種という驚異的な比率で、その多くは希少種でもあります。またスリランカ固有の鳥類、哺乳類、チョウ類、爬虫類の多くがこの森に生息しています。

特に鳥類は多く、バードウォッチングの聖地とも言われるほど。異なる種類の鳥が集まって群れをつくる独特な習性も観察されます。そのほか「幻のフクロウ」、「ブルースパイダー」、「セイロンサンジャク」など、珍しい生き物が多く生息。この森の圧倒的な生物多様性は、まるで生きた博物館のようです。

「インディ・ジョーンズ」に出てくるような吊り橋や、自分の足でジャングルを彷徨うような経験。「冒険」を楽しむ旅にもおすすめです!

スリランカの中央高地/自然遺産(2010年登録)

ワールズ・エンド(スリランカ、ホートン・プレインズ)

【切り立つ聖山&ワールズエンド】
自然遺産スリランカの中央高地は、島の中央南部に広がる、標高2500mにおよぶ山岳森林地帯です。3つの保護区で構成されており、独特の霧に包まれた「雲霧林(クラウドフォレスト)」が広がっています。

①「ホートン・プレインズ国立公園」は標高2100mの高原地帯。切り立つ崖の絶景スポット「ワールズ・エンド(地の果て)」が有名です。②「ピーク・ウィルダネス保護区」は仏教・ヒンドゥー・イスラムの共通の聖地として信仰の対象にもなっている山「アダムスピーク」を有し、パワースポットとしても知られます。③「ナックルズ森林保護区」は、山の形が「握り拳(ナックル)」に見えることから名付けられた秘境です。

シンハラジャとはまた異なる生物多様性のホットスポットとして固有種が多く生息し、「スリランカヒョウ」など絶滅の危機に瀕した野生動物たちの貴重なシェルターになっています。

 

【まとめ】

スリランカの灯台と美しいビーチの風景

いかがでしたでしょうか!ここまでスリランカに登録される世界遺産、8件すべてをご紹介してきました。

スリランカの世界遺産は、テーマを絞ることで、ぎゅっとまとまりのある旅としてアレンジ可能です。
ただ複数の世界遺産や都市を訪れる場合、また限られた日数で効率的にまわりたい場合、確実なルートの組み立てや、きちんとしたスケジューリングは、個人の力ではハードルが高い部分があります。

また基本的にスリランカの気候は暑く、移動は想像以上に体力を使います。ローカルな手段をとって節約しても、いざ目的地に到着した時にはもうヘトヘト…ということになりかねません。

「移動の疲れを気にせず快適に旅をしたい」「日本語ガイドの解説で世界遺産の知識を深めたい」「好きなところを効率よく計画的にまわりたい」「安全第一にプロにまかせたい」という方は、ぜひ弊社の個人アレンジツアーをご活用ください。専用車と専属ドライバーガイドが、あなただけの快適なスリランカ旅行をサポートします!

ちなみに、弊社スペースワールドでは、基本的にスリランカ全土のお手配についてご相談が可能です。モルディブや他の国と組み合わせた旅程も手配OK。気軽にご相談くださいね。

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【豆知識】スリランカの愛すべき豆知識4選

スリランカの豆知識

ここでは世界遺産の魅力を補足するスリランカの豆知識をご紹介します♪

スリランカは「輝く島」という意味=リアルに宝石がザックザク!(本当)

見事なルビーとダイヤモンドのネックレス

スリランカとは、シンハラ語でスリ=光り輝く・ランカ=島で「輝く島」を意味しますが、実はこれ、比喩でもなんでもなく、本当に宝石がザクザク採れることから名付けられた国名です。

島全体の地層が約5億年前のもので、約9割の地層に宝石が眠るとさえ言われています。川底や裏庭の土を掘るだけで、目を見張るようなサファイアやルビーが見つかることも珍しくありません。

歴史のなかでも、マルコ・ポーロは「世界最高の島」と大絶賛し、モンゴルのフビライ・ハーンは巨大ルビーに首ったけ、ダイアナ妃の婚約指輪に選ばれた大きなブルーサファイアもスリランカ産でした。まさに宝島!そりゃあ古代から栄えていたというのも、納得ですね!

三蔵法師はスリランカを目指していた!(本当)

三蔵法師像と大雁塔

「三蔵法師が目指した天竺(インド)の、さらにその先があった!」と言われたら驚くでしょうか。実は玄奘三蔵法師の心の中の「本当のゴール」は、インドの南に浮かぶ島、スリランカでした。

意外なことかもしれませんが、実は三蔵法師より200年も前(!)に、すでに法顕という高僧がインドを訪れ、多くの経典を持ち帰っています。法顕はインド滞在中にその存在を知り、急遽、スリランカを訪れる決断をしました。結果として彼はその後2年間もアヌラーダプラに滞在し、著書「仏国記」ではスリランカを「仏教の教えが行き届いた理想郷」とさえ表現しています。

この時代こそ、カッサパ(シーギリヤロック)のクーデター直前の、アヌラーダプラ黄金時代です。カッサパの弟は王権を奪い返し、この後一時盛り返すものの、権力争いは激化し、内戦を引き起こすようになってしまいます。ポロンナルワ遷都まで混乱の続く状況で、これを理由に三蔵法師はスリランカへの渡航を断念しました。

三蔵法師はそもそも、法顕の「仏国記」を読み込んでいたということも分かっており、彼の残した「大唐西域記」や「大慈恩寺三蔵法師伝」では、その時の「無念の渡航断念」といった気持ちがハッキリと残されているのだそうです。

浅草寺の五重塔のてっぺんには「スリランカの仏舎利」がある!(本当)

浅草寺

舞台は東京、国内外からの観光客で常ににぎわう浅草寺にも、実はスリランカとの深い結びつきが隠されています。

もともとお寺に建てられている仏塔(日本でいう五重塔など)は、お釈迦さまの遺骨(仏舎利)を納めて供養するための建物(ストゥーパ)が起源です。浅草寺の五重塔は、平安時代の942年に初めて建てられて以降、何度も焼失と再建を繰り返してきました。江戸時代に徳川家光によって再建され、国宝に指定された五重塔も、1945年の東京大空襲によって跡形もなく焼け落ちてしまいます。

戦後の復興を目指すなかで、1966年にスリランカのアヌラーダプラにあるイスルムニヤ精舎から、浅草寺へ正式に「聖仏舎利」が贈られます。その後1973年に現在の五重塔が無事再建された際には、そのもっとも高い最上層に大切に納められました。

この聖なる仏舎利は、それ自体がスリランカの国宝級の価値があります。仏教国スリランカが数千年かけて守ってきた至宝です。戦後復興のシンボルとして、信じがたいほどの厚意を届けてくれたスリランカの行動に、本当に胸が熱くなりますね!ちなみに浅草寺はその後、イスルムニヤ精舎の大規模な色の塗り替えをするなどし、良好な関係が続いているんですよ♪

初代スリランカ大統領が日本を救った!(本当)

国際会議でスピーチをする男性

実は、スリランカが日本に仏舎利を贈ってくれた背景には、戦後間もなくの「敗戦国日本の処分」を決定する国際会議での出来事がかかわっています。

戦後の日本は実際に「分割統治」の危機があったことをご存じでしょうか。具体的な計画としては、北はソ連、南はイギリス、四国は中国、中心部をアメリカが分割して支配するという考え方です。これら処遇を最終的に決める「サンフランシスコ講和会議」が1951年に開かれました。

日本の孤立が強まる中、スリランカ代表となるジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ氏が演説。その冒頭で、ブッダ(お釈迦さま)の言葉を引用しました。「人は怨みに怨みをもって報いれば、ついに怨みの解けることはない。怨みを捨ててこそ怨みは解ける。これは永遠の真理である」

彼の演説は、国際社会から凄まじい絶賛と評価を受け、会議の空気をガラリと変えたとさえ言われています。「日本に自由と主権を与え、二度と縛り付けるな」と国際社会に約束させた、これがジャヤワルダナ氏、のちのスリランカ大統領の心意気です。スリランカは、本当に、日本の危機を救ったんですよ。出席していた吉田茂首相は涙したと言われています。

この出来事を発端に、日本への絆と復興への祈りから聖なる贈り物を届けてくれた、ということです。

いかがでしたでしょうか?
ここまで読んでいただいた方は、きっとスリランカが大好きになっているはずです!
それでは最後に、そんなスリランカの世界遺産への旅行について気になるQ&Aをご紹介します。

 

【Q&A】服装や移動のリアルな疑問

スリランカQ&A

「シーギリヤロック」の頂上まで登るには、どれくらい体力が要りますか?

1200段の階段を登ります。急な階段もあるため歩きやすい靴が必須ですが、途中の「シーギリヤレディ(壁画)」などを観光しながら自分のペースで登れば、普段運動しない方でも大丈夫です!所要時間は2.5~3時間ほどが目安。

アヌラーダプラやキャンディなど「聖地」を訪れる際の服装の注意点は?

A.スリランカの仏教聖地では、露出の多い服では入場できません。肩から膝までが隠れることが目安。またスリランカの正装に習い「上下ともに白い衣装」が理想的です。女性はワンピースも◎、羽織る用ストールを別途用意するのも便利です。

8カ所の世界遺産を効率よくまわる方法はありますか?

文化遺産は「文化三角地帯」に集まっていますので、限られた日数でも多くの世界遺産をまわれます。一方、自然遺産は孤立したエリアにあるためアクセスに時間がかかります。また1泊ではなく、散策の時間を含めて2泊程度はお時間があると満喫できるイメージで、自然遺産+ハイキングやサファリの組み合わせとしますと無理がありません。

もし8カ所すべての世界遺産をまわりたい場合は、あらかじめのスケジュール調整が必要です。弊社の「専用車チャーター付きの個人ツアー」であれば12~14日程度の日数があると実現可能ですよ!

ぜひスリランカの深い懐へぜひ訪れてみてください、ご旅行はお気軽にご相談くださいね♪

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ダンブッラ石窟寺院の入り口

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