トルコ世界遺産一覧!有名な「カッパドキア」から「ネムルト山」「コンヤ」など
ヨーロッパとアジアの架け橋トルコ。
トルコの歴史というと、「オスマン帝国」を連想することが多く、事実現代のトルコ(トルコ人)の基盤となったとも言える巨大帝国です。
ですが、一方でトルコには世界でもっとも古い石器時代の遺跡が存在するばかりか、有史以来、様々な勢力の攻防があり、他国の影響を受けてきたという歴史とその証拠が残っています。
古くは「ヒッタイト王国」から、ギリシャやローマの遺構に至るまで、多くの史跡が「世界遺産」として保存されており、これらはトルコの歴史そのものです。
この記事では、そんなトルコの時代ごとに栄えた特色ある「世界遺産」を一挙ご紹介!
今回はよくある世界遺産の「登録年」の順ではなく、トルコの歴史を追っていくように、「遺跡自体の歴史の古い順」で記載をしていきます。
トルコの世界遺産をより興味深く感じて頂ければ幸いです!
Contents
- 1 有名なトルコの世界遺産は?数は何個?
- 2 トルコの世界遺産を一覧でご紹介!
- 2.1 【ギョベクリ・テペ】
- 2.2 【チャタル・ヒュユク(ホユック)の新石器時代遺跡】
- 2.3 【アルスランテペの墳丘】
- 2.4 【トロイの古代遺跡】
- 2.5 【ハットゥシャ】
- 2.6 【クサントス-レトーン】
- 2.7 【ゴルディオン】
- 2.8 【エフェソス(エフェス)】
- 2.9 【ペルガモンとその重層的な文化的景観】
- 2.10 【ヒエラポリス-パムッカレ】
- 2.11 【アフロディシアス】
- 2.12 【ディヤルバクル城塞とエヴセル庭園の文化的景観】
- 2.13 【ネムルト・ダウ(山)】
- 2.14 【ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群】
- 2.15 【アニの古代遺跡】
- 2.16 【ディヴリーイの大ジャーミー(モスク)と病院】
- 2.17 【中世アナトリアの木造多柱式ジャーミー(モスク)群】
- 2.18 【サフランボル市街】
- 2.19 【オスマン帝国発祥の地ブルサとジュマルクズク】
- 2.20 【セリミエ・モスクと複合施設群】
- 2.21 【イスタンブール歴史地域】
- 3 まとめ
- 4 世界遺産ランキングと観光のQ&A!
有名なトルコの世界遺産は?数は何個?
トルコの世界遺産は、東西の歴史そのもの。地理的にも歴史的にも複雑なトルコにある世界遺産の特徴、またその魅力について簡単に説明します!
トルコの世界遺産の数は何個?
トルコの歴史はとても複雑で、石器時代からヒッタイトの古代文明、ギリシャ時代の都市遺跡、その後はローマやビザンツ帝国の統治があり、これらに関する建造物も多く存在します。
そして1435年にコンスタンティノープル(現イスタンブール)の陥落によってオスマントルコの支配下となり、多くの美しいモスク(イスラム教寺院)が建てられ、現在もその姿を留めています。
そんなトルコの魅力を詰め込んだ世界遺産は、現在21件(2023年9月に2件追加)。存在感のある多様な遺産は本当にどれも見ごたえがありますよ!
人気の世界遺産はやっぱり「イスタンブール」
そんなトルコの世界遺産の中でも、やっぱり一番人気はイスタンブール。国際線の乗り継ぎで立ち寄る、という方も多くいます。
イスタンブールはトルコの首都ではありませんが、地理的・歴史的な魅力もあり、首都アンカラに比べてもずっと大きな都市へと発展。現在も北へ東へとどんどん広がっている、活気のある都です。
観光としてのイスタンブールは、歴史地区(旧市街)に見どころが集中しています。無数の美しいモスク、宮殿、海峡、橋。海峡を渡った西側はヨーロッパ、東側はアジアです。ここまで絶大な魅力のある都市を、筆者は他には知りません!
有名な“複合遺産“「カッパドキア」「パムッカレ」
世界遺産には「文化遺産」と「自然遺産」、その両方の価値を持つ「複合遺産」という3つの区分があります。トルコの世界遺産はほとんどが「文化遺産」ですが、うち2件は「複合遺産」に登録されています。
全世界中で1000件を超える世界遺産の中でも、「複合遺産」はわずか39件ということですから、大変希少なもの。日本には0件、トルコのように国に2件あるのは大変珍しいことなんです!
そしてこの複合遺産に登録されるスポットこそ、トルコの中でも特に有名で人気のある「カッパドキア」と「パムッカレ」というわけ!一生に一度は訪れたい世界遺産であり、観光スポットですね。
天空のピラミッド「ネムルト」映画で有名な「トロイ」
その他トルコの世界遺産も魅力的なものばかり。
天空のピラミッドとして知られるネムルト山(ネムルト・ダゥ)や、インスタ好きにはたまらないフォトジェニックな古都サフランボル。よみがえった伝説の都市トロイは映画になったことでも注目を浴びました。
ちなみにトルコは、映画のロケ地になることもとても多い国。有名なもので「007」、「チャーリーズエンジェル」、「インフェルノ」など…。漫画なら「天は赤い河のほとり」、小説では「シナン」がおすすめ。
作品を通して世界遺産を見ることで、よりその魅力が伝わるかもしれません!トルコへの旅行の前にはぜひとも鑑賞したいですね。
2023年の大地震を耐えた世界遺産たち
2023年、トルコ東部を襲った未曽有の大災害。非常にショックな出来事で、地震の多い日本に住む私たちだけに、悲惨な状況を思って大変心が痛みます。
ただこの記事では、トルコの今後の復興を心から応援したい、そんな気持ちをもって、美しい世界遺産をご紹介したく思います。
トルコは東西に長い国で、西に行くほど都会(≒ヨーロッパに近い)という特色があります。このため地震の前はトルコ東部が注目される機会は少なかったのですが、魅力的な遺産も多くありますよ。
今回の地震で世界遺産の「アルスランテペ」や「ディヤルバクル」では壁にひびが入るなどの被害がありましたが倒壊に至らなかったことは不幸中の幸いでした。また「ネムルト・ダゥ」や「ギョベクリ・テペ」はなんと無傷!
2023年9月には登録数が2件増え、トルコの各地に世界遺産は増え続けています。そんな逆境に負けないトルコに、ぜひともいずれ訪れてみてくださいね。
それでは、以下よりトルコの世界遺産をご紹介していきますので、ご覧ください。
トルコの世界遺産を一覧でご紹介!
本記事の冒頭にも記載しましたが、ここでは世界遺産の「登録年」ではなく、「遺跡自体の歴史の古い順」で記載していきます!
世界遺産としての特徴だけでなく、トルコの長い歴史の中でその遺産の持つ価値が伝わりやすいかと思います。
【ギョベクリ・テペ】
文化遺産 ― 2018年
トルコのもっとも古い世界遺産としてだけではなく、世界最古の遺跡として知られる「ギョベクリ・テペ」!トルコ東部シャンルウルファに近く、1万2千年前から紀元前8000年の期間に建てられたとされています。
エジプトのピラミッドに比べても6000年以上も古いというのですから驚きです。ギョベクリは太鼓腹、テペは丘という意味で、比較的最近発見され1996年に発掘が始まったもの。考古学上では世紀の大発見とも、歴史の通説を覆すとも言われ、謎のある遺跡です。
というのも、この遺跡は、都市遺跡ではありません。あくまで現段階の発掘状況の中でとなりますが、居住の跡がなく、周辺に人は住んでいなかったということが分かっています。これはどういうことなのか?
発掘者であるドイツのチームは、ギョベクリ・テペは石器時代の山の神殿であり、最古の宗教施設であると述べています。そして信仰は定住者(農耕定住社会)ではなくとも、移動民族(狩猟採集民)にも可能だったということ。
これまでの通説である「町→神殿」の発展という考え方から、「神殿→町」の段階で都市が発展した可能性を秘めた遺跡というわけです。新しい説をもたらした、世界一古い遺跡。興味深い世界遺産ですね!
【チャタル・ヒュユク(ホユック)の新石器時代遺跡】
文化遺産 ― 2012年
上記のギョベクリ・テペに、「世界最古」の座を、スッと抜かれてしまった遺跡…という印象があったりしますが、実は遺跡としての内容は大きく異なります。
チャタル・ヒュユクは、トルコの内陸、コンヤ付近に位置。1958年に初めて発掘されてから、2018年まで調査が続き、世界遺産には2012年になって登録されました。チャタルは分岐、ヒュユク(ホユック)は塚・丘の意味。
ギョベクリ・テペの宗教遺跡と違い、こちらは非常に巨大な集落跡として、人類が2000年に渡って同一エリアに住み続けた記録となる世界遺産です。建物の最下層は紀元前 7100 年、最上層は紀元前 5600 年というもので、集落跡としては世界最古レベルと言えます。
また集落といってもその人口はピーク時期には10000人の規模に至り、建物は密集し迷路のようにして建てられていました。更にとてもユニークなことに、各家々には窓や扉がありません。天井からのはしごで出入りしたというのですから面白いですね!
生き生きした壁画や像などの出土品もあり、コンヤやアンカラの博物館で保管されています。
【アルスランテペの墳丘】
文化遺産 ― 2021年
世界史で耳にした記憶があるかもしれません…、このあたりはまさに「肥沃な三日月地帯」と呼ばれるエリア!
古代メソポタミアとシュメール文明(紀元前6500年頃からの古代文明・現南イラク)に関係し、紀元前5000年頃からユーフラテス川のほとりに興り、紀元前4000から3100年までには寺院や宮殿といった複合体を含む農村として発展したもの。これがアルスランテペです。
どこかユーモアのあるライオンの像が発見されており、アルスラン=ライオン、丘=テペと名付けられました。
ヒッタイトが力をつけてきた後にはその影響を受け、紀元前1350年頃に征服されますが、「メリド」「マリジ」などと呼ばれ、ペルシャやローマ時代を経ても長く繁栄しました。そしてこれがトルコ東部の、現代の都市「マラティヤ」の起源でもあります。驚くような長い歴史のある都ですね!
【トロイの古代遺跡】
文化遺産 ― 1998年
世界遺産トロイは、古代ギリシャのホメロス作とされる叙事詩、現存する最古の文学作品のひとつ「イリアス」の舞台となった都市。映画や作品に取り入れられることも多く、世界的に有名な遺跡です。
今でこそ世界遺産に登録され、トルコの中でも有名観光地であるトロイですが、発掘以前は「神話上の架空都市にすぎない」というのが一般の通念でした。
これを覆したのがハインリヒ・シュリーマン。発掘に関して素人であったため技術的なミスをしてしまった点が問題にもなっていますが、トロイの実在を信じて私財を投じた彼の情熱あっての発掘です。悠久の時を超えて、神話が現代に現れた奇跡の遺産ですよ!
トロイは歴史上、幾たびもの破壊と再建があり、考古学的には9つの層に別れています。最下層は紀元前3600年頃の定住跡、紀元前3000年になる頃には要塞都市としての発展が見られます。またトロイア戦争は紀元前1275~1240年と推定されています。
【ハットゥシャ】
文化遺産 ― 1986年
鉄器を使用した高度な文明として知られる、有名な古代文明ヒッタイト。世界遺産ハットゥシャは紀元前1700から紀元前1300年頃に繁栄した、ヒッタイト帝国の都です。
ヒッタイトは鉄と、そして馬、戦車を戦争に用いたことで強大国へと発展し、西アジアを制圧。一時は古代エジプト王国と攻防戦を繰り広げ、ファラオのラムセス2世と激しく争うほど版図を拡大したとされています。
ハットゥシャの遺跡はもともとかなり早い段階から発掘調査がなされ、最初期の調査はなんと1833年。場所を特定し発掘の開始が1906年というものです。
多くの建造物が残っているわけではありませんが、6㎞に及ぶ城壁に囲まれ、ピーク時期には実に40000~50000人の人口を抱えた大都市であったことが分かっています。古代文明に惹かれる方にはたまらない遺跡です!
【クサントス-レトーン】
文化遺産 ― 1988年
現在のトルコのアジア側は、地理的にアナトリア半島と呼ばれ、古代の地方名としても「アナトリア」と表現されることが多くあります。紀元前2000年~紀元前1000年頃のアナトリアでは様々な民族と小国家が誕生し、勢力は複雑に影響し合うことに。
その中でトロイやヒッタイトとともに、現トルコ・アンタルヤ周辺で大いに栄えたリュキア(Lycia)人の都市遺跡が世界遺産クサントスです。
驚くことにトロイの項でご紹介の「イリアス」にもリュキアは登場、トロイア戦争ではトロイアの同盟国として描かれており、その起源は大変古いものであると考えられています。古代エジプトやヒッタイトとの関連も示唆されており、強大なギリシャやペルシャと接しながらも力を持った国であったということが文献から伺えます。
紀元前 700年頃になるとアクロポリスが発展し、もともとリュキアで信仰されていた神がギリシャ神話の女神「レト」に代わられるように。これが「レトーン」の神域として、同じく世界遺産に登録されています。
【ゴルディオン】
文化遺産 ― 2023年 <NEW!
紀元前2000年代より断続的な居住跡のみられるトルコ中央のエリアに、ヨーロッパ方面からやってきたフリギア(Phrygians)人が紀元前800年頃築いたとされる都がゴルディオンです。そんなゴルディオンの世界遺産としての価値、面白みは、古い居住跡ということだけではありません。歴史上に有名な逸話・伝説を残しているという点でとてもユニーク。
たとえばフリギアの王でもっとも有名なミダス(ミダース)王はギリシャ神話などに紐づけられ、ヨーロッパ世界では広く知られています。イソップ童話で知られる「王様の耳はロバの耳」も、実は同じミダス王のお話!ゴルディオンは神話の起源であり歴史の舞台と言えます。
また伝説があり、フリギアが争いで王を失った際「次に牛車に乗ってやってくる男が王になる」との神託を受け、農民であったゴルディアスが王になりました。彼は感謝の意から牛車を神に捧げ、柱に固く複雑に結びつけ「結び目を解いた者はアジアの王になる運命」との神託が発せられました。
この結び目は「ゴルディアスの結び目」として知られ、誰もほどけませんでしたが、そこからざっと数百年…。この結び目を解いた者こそ、かのアレクサンドロス大王だった、というわけです!しかも大王は結び目をほどいたのではなく、一刀両断でぶっちぎってしまったというのですから、…さすがです。
【エフェソス(エフェス)】
文化遺産 ― 2015年
トルコ西部、地中海沿岸に位置する世界遺産エフェソスもまた、アナトリアに現れた民族リュディア(Lydians)人の勢力が起源とされています。
紀元前1000年頃から紀元前700年頃にかけ勢力を拡大し、その後ギリシャ都市として発展、同時にアルテミス神への熱心な崇拝で知られた都でした。ただこの地の女神の姿は、ギリシャ神話のアルテミスとはまったく似ていません。
むしろギリシャのアルテミスとは対照的に、豊穣多産を象徴する多数の乳房をもつ、かなり印象的な姿をしています!これはクサントスと同様、もともとリュディアで信仰されていた神がアルテミスに取って代わられたということを意味します。
またアルテミスの神殿は超巨大な建造物であったという伝説も。古代の「世界の七不思議」に取り上げられていますので、気になる方は調べてみてくださいね!
エフェソスではのちにキリスト教を受容し、ローマ時代にも発展。特に「ケルスス図書館」という図書館があった文学の都ということで、にぎわいのある都市となりました。
【ペルガモンとその重層的な文化的景観】
文化遺産 ― 2014年
世界遺産ペルガモンもそもそもの起源は古く、紀元前800年以前の居住跡があります。「イリアス」に登場するミシア(Mysians)人との関連もあると言われています。
その後ペルガモン王国として、紀元前3世紀半ばから2世紀に繁栄。ギリシャ世界では文化的な面で重要な都として位置づけられました。建築物も比較的残っており、白亜に輝く遺跡は青い空とのコントラストが印象的!
ローマになってからはより強大となり、同エリアのエフェソスとともに大いに発展を遂げました。当時はエフェソスの図書館よりもさらに大きい図書館があり、当時の世界で(アレキサンドリアに次いで)2番目に大きいものだったとされています。
【ヒエラポリス-パムッカレ】
複合遺産 ― 1988年
トルコ中部の世界遺産パムッカレは、ゴルディオンの項目で触れましたフリギア(Phrygians)人の神殿がもとになったと考えられています。洞窟の温泉から有毒ガスが発生するため、古代では冥界への入り口であると見なされていました。
その後ギリシャ時代を経て、紀元前2世紀にローマの支配下に。ここで温泉好きで知られるローマ人がパムッカレの地を一大温泉センターに大改造!2世紀になり最盛期を迎え、人口は10万人を超えたとさえ言われます。
都市には2つのローマ式浴場、スポーツ場、列柱のあるメインストリート、噴水が完備。保存状態の良い劇場も現存します。医療が発展し、芸術、哲学、貿易についてもローマで最も重要な都市の 1 つとなり、栄華を極めました。
更にパムッカレは複合遺産として登録されているように、独特な景観でも知られています。石灰を含む温泉水が真っ白い棚田を生み出し、その一帯だけ白い雪に覆われたよう!とても幻想的な世界遺産です。
【アフロディシアス】
文化遺産 ― 2017年
エフェソスから内陸へ2時間、ギリシャ神話の愛の女神アフロディーテにちなんで名付けられた都市、世界遺産アフロディシアスが現存します。
アフロディシアスは古代ギリシャの都市として紀元前3 世紀頃から知られるようになりますが、より知名度が上がったのはローマ時代になってから。というのもこの地は大理石の発掘地であり、それを用いたアフロディシアスの彫刻と彫刻家の技術は、ローマ世界でも有名に!
周辺がキリスト教化する中でも、5 世紀末までアフロディーテ・ギリシャ神信仰の中心地であり続け、彫刻と哲学の有名な学校も存在しました。(アフロディシアスはキリスト教からみた”異教”の街となっていきます。エロスとアガペーの衝突に思えて興味深いです。)
またスポーツに熱心で、様々イベントが行われた巨大なスタジアムが残っています。最大で約30000人を収容し、トルコだけでなく地中海エリア全体でみてももっとも保存状態が良いとされています。
【ディヤルバクル城塞とエヴセル庭園の文化的景観】
文化遺産 ― 2015年
ディヤルバクルは、ギョベクリ・テペなどと同じくトルコ東部の「肥沃な三日月地帯」に位置。ディヤルバクル近郊にも紀元前9000年から紀元前6000年頃の居住跡が見つかっており、長く栄えていたエリアです。
世界遺産に登録されるディヤルバクルの城塞は、ローマ時代のもの。古代ではアミダと呼ばれていたこの都市は、周囲に築かれた城壁が有名で、なんと万里の長城に次いで世界2位の長さがあるそう!
紀元前6世紀から4世紀までに整備され、その後も都度修繕が行われて、2000年。これだけの年月が経っても、その構造がほとんど失われていないという価値ある遺産です。鉄壁の城壁は非常に迫力があると同時に、大変美しいものですよ。
また歴史的にティグリス川から水を引いており、都市と川をつないでいるエヴゼル庭園があわせて世界遺産に登録されました。
【ネムルト・ダウ(山)】
文化遺産 ― 1987年
トルコ東部、世界遺産ネムルト山(ネムルト・ダウ)の山頂には、石で積まれたピラミッドと巨大な神像が建っていることで知られています。これは紀元前1世紀、この地を治めたコンマゲネ王国の王アンティオコス1世が建てたもの。
巨大像は、ギリシャの神とペルシャの神、そして王自身の座像が含まれます。残念ながら座像の首から下は落ちてしまっていますが、実際に訪れてみれば頭部だけでもとても大きいことに驚きますよ!
この地は墓所と考えられていますが、現在でも埋葬施設は発見されていません。崩落の危険性があるため、発掘もできないという、アンタッチャブルな遺跡です。
神々の座す山頂からは、遠くユーフラテス川を眺めることができます。夜には満点の星空、輝くばかりの日の出や夕日。この地の歴史と自然の美しさが詰まった素敵な世界遺産です。
【ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群】
複合遺産 ― 1985年
カッパドキアはトルコの世界遺産のうちパムッカレとともに複合遺産に登録され、文化的な魅力はもちろん独特な自然環境でも知られています。トルコの代表的な一大観光地であり、見どころの多いエリア。
そんなカッパドキアの自然、それは岩の芸術です。天然の奇岩は、日本語では「きのこ岩」「らくだ岩」、海外では「妖精の煙突」などと親しみのある名称で呼ばれているものも。パノラマを彩る早朝の気球ツアーは、乗るのも見るのもおすすめですよ!
カッパドキアにはまた、2~3世紀のキリスト教初期や、8~10世紀頃に異教徒の襲撃から身を隠すため、キリスト教徒が隠れ住んだ歴史があります。岩を掘って色彩豊かな壁画をほどこした岩窟教会が現存し、ギョレメで見学可能となっています。
また地下8階~10階に達する巨大な地下都市も形成され、なんと最大2万人近くが生活していたというのですから驚きです!ただこの地下都市はキリスト教徒により拡張・整備されたものの、起源は更に古く、誰がいつ建てたのか、という事は謎に包まれていたものでした。
これが近年の発掘などから、古代ヒッタイトや古代文明のものという可能性が高まっているのだそう!歴史あるトルコならではのワクワクですね。
【アニの古代遺跡】
文化遺産 - 2016年
トルコのもっとも東、アルメニア国境付近に位置する世界遺産アニの考古遺跡。このエリアは10世紀にバグラトゥニ朝アルメニアとして栄えた一帯であり、アニはその首都でした。
丘陵の美しい景観の広がるアニは、壮大な宗教都市として知られ、「千と一の教会がある都」と呼ばれていたほど。このエリアの文化や芸術の中心でもあり、最盛期には約100,000の人口を有したと言われています!
13世紀のモンゴル人による略奪、14世紀の地震によって荒廃。現在に残るわずかな遺構が世界遺産として保存されることとなりましたが、倒壊が危ぶまれています。
雄大な自然の中の、忘れられた廃墟は、それでもどこか胸を打つ美しさがありますよ。
【ディヴリーイの大ジャーミー(モスク)と病院】
文化遺産 ― 1985年
トルコ中央部ディヴリーイの町にある建造物、ウル・ジャーミー(トルコではモスクをジャーミーと呼びます)と、隣接する病院が、世界遺産に登録されています。
ディヴリーイの町は、もとはビザンチン時代の9世紀頃に成立しましたが、11世紀以降セルジューク朝の影響化に入ります。セルジューク朝とはペルシャ、現在のイランを拠点に栄えた勢力であったため、これにより東方の文化や技術がもたらされました。
世界遺産となっているモスクと病院は、こうした歴史的背景のもと13世紀に建造。アナトリアとペルシャの建築様式がミックスされ、緻密なレリーフで彩られた荘厳な建造物が現存します。オスマントルコ以前のアナトリア建築として貴重な遺産です。
【中世アナトリアの木造多柱式ジャーミー(モスク)群】
文化遺産 ― 2023年 <NEW!
アフィヨン「ウル・ジャーミー(グランド・モスク)」、アンカラ「アスランハネ・ジャーミー」、コンヤ「エシュレフォール・ジャーミー」、カスタモヌ「マフムト・ベイ・ジャーミー」、シウリヒサル「ウル・ジャーミー(グランド・モスク)」の5つの歴史的モスクで構成され、トルコの中で所在地が離れている世界遺産です。登録名称が渋いですね。
これらモスクの共通する世界遺産としての特徴は、セルジューク朝13~14世紀頃の木造であること。木を利用したモスクは、イスタンブールなど西の方面ではあまり見かけませんが、中央アジアなどトルコより東の方面では見かけることがあり、日本人にとっては大変落ち着きます。
これらはつまりセルジューク朝=イラン/アジア方面からの影響とも考えられ、その木造建築の独特な美しさは「モスク」のイメージを覆します。希少性を考えますと世界遺産への登録は納得。前項目の「ディヴリーイの大モスク」の装飾もセルジューク朝の影響が見られますが、いずれもとても繊細で、装飾技術・デザイン性の最高峰の時代ともいえるかもしれませんね。
【サフランボル市街】
文化遺産 ― 1994年
トルコ北部、サフランボルの町が歴史の表舞台に立ったのは11世紀より後のこと。黒海と内陸をつなぐ交易路の中継地点として13世紀以降は飛躍的に発展し、17世紀に最盛期を迎えます。
サフランボルが栄華を極めたオスマントルコ時代、この頃の建築物が多く保存されることから世界遺産にも登録されました。時計塔、噴水、ハマム、キャラバンサライや宿(コナック)などが残り、当時の雰囲気をいまに伝えています。
山間のためアクセスのしにくさはありますが、フォトジェニックな旧市街は散策も楽しく、おすすめの世界遺産。軒を連ねる小さなお土産屋さん、木造の建物・木製の調度品が使用された家屋も可愛らしいです。
サフランボルの伝統家屋には、現在でも宿泊が可能です。訪れた際にはぜひともこうしたオスマントルコ風お宿に泊まってみてください!
【オスマン帝国発祥の地ブルサとジュマルクズク】
文化遺産 ― 2014年
イスタンブールからマルマラ海をはさんで50㎞の南に位置する街、ブルサ。紀元前3世紀のマケドニア時代を起源としますが、14世紀初頭にオスマン帝国初期の首都が置かれたことで、今日のトルコ人にとっても重要な地であり続けています。
オスマントルコ時代に発展した都市計画に「キュッリエ」という様式があり、これはモスク、マドラサ(神学校)、霊廟、学校、病院などが集まった複合施設のことを指します。ちなみここのモスク(ウル・ジャーミー)の内装はシンプルですがカリグラフィーが優れています。
ブルサにはこうした建築物が残っている点で価値のある遺産であり、都市を支えた近郊の農村エリアであるジュマルクズックとあわせて世界遺産となりました。
ちなみにブルサは伝統的に「緑のブルサ」と呼ばれ、イスタンブール住民にとってのショートトリップ先としても大変人気。ジュマルズックもまた古き良き農村の風景がフォトジェニックでもあり、世界遺産であると同時におすすめの観光スポットです!
【セリミエ・モスクと複合施設群】
文化遺産 ― 2011年
ブルガリア国境近く、トルコ北西部に位置するエディルネ。ローマ時代のハドリアノポリスを前身とした古都です。オスマントルコは14世紀後半(1365年)にはブルサからエディルネに首都を遷都します。
エディルネは当時ヨーロッパ侵攻への足掛かりとして重要視され、首都に定められた後、街は拡張、無数のモスクが建てられます。キャラバンサライやバザールは賑わい、エディルネの「キュッリエ」は学びの場としても大いに発展しました。
またこの時代になり、オスマントルコの当時だけでなく、現代でなお世界的に有名な建築界の大スターが登場!それがミマール・スィナン(シナン)です。世界遺産セリミエ・モスクの設計者であり、計算しつくされた技法は、素人でさえ感嘆のため息がでるものです。
スィナンの建築はイスタンブールでも見つけることができ、特に有名なものはスレイマニエ・ジャーミー。またオスマントルコの領地内で、今ではトルコではないですが、ボスニアの世界遺産スタリー・モストはスィナンの弟子が手掛けています。
【イスタンブール歴史地域】
文化遺産 ― 1985年
4世紀以来、東ローマ帝国の帝都として栄えたコンスタンティノポリス(英語名コンスタンティノープル)。この1000年続いた都を15世紀(1453年)になって、オスマン帝国が陥落。新たに帝都イスタンブールとして400年以上の間、栄華を極めることとなります。
イスタンブールの歴史地区として世界遺産に定められるエリアは、主にコンスタンティノポリスのあった範囲となっています。このためイスタンブールの世界遺産は、完全にイスラム教徒のものばかりではありません。
むしろヨーロッパ世界とアジア世界が交わる場所として、独自の変容を遂げたことにも、大きな価値があります。中でもアヤソフィアはそんなイスタンブールの歴史を象徴する存在として知られています。
その一方で壮麗な宮殿やモスクが建てられ、ミマール・スィナンを筆頭に優れた建築、技術、文化、芸術、これらの最高峰が集う地でもありました。宮殿やモスクの壁、タイルたった1枚を見ても、どれだけ色彩豊かで緻密なことか…。
世界に類を見ない海峡の古都、イスタンブール。訪れれば必ずその魅力のとりこになるはずです!
まとめ
いかがでしたでしょうか!ここまでトルコに登録される世界遺産、19件すべてをご紹介してきました。
一言で「トルコ」と言っても、地域によって様々な歴史背景があるため、国の至る所に古代の遺跡や史跡が散らばっています。比較的行やすい都市部の世界遺産もあれば、アクセスしづらい世界遺産もあります。
イスタンブールなどの都市であれば、大手旅行会社のパッケージツアーを利用する、また自分でホテルや飛行機を手配するなど、手軽な旅行が可能です。ただ、都市から離れた遺産は、パッケージツアーでは行けなかったり、思い通りのスケジュールにならなかったりと、満足できないことも…。
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最後にトルコの遺産によくある質問を一問一答形式で紹介します!ぜひご活用ください。
世界遺産ランキングと観光のQ&A!
カッパドキアとイスタンブールの他に行くなら?
世界遺産に挙げた通り、トルコは本当に見どころの多い国。カッパドキアとイスタンブールは外せないけれど、その他はどこへ行ったらいいだろう…と考える人も多いと思います。
トルコの第三の人気観光地としてはやはりパムッカレが挙げられますが、もし時間や予算に都合がつく場合、周遊がおすすめ。たとえばエフェソス、パムッカレ、カッパドキアなら、ぐるっと一筆書きで、一気に行くことができますよ。
イスタンブールから気軽に日帰り旅行という形であれば、ブルサかエディルネがおすすめです。その他ネムルト・ダウもギョベクリ・テペも他では決して見られない価値がありますし、サフランボルはとっても可愛いです。
それ以外にもトルコには地中海の美しいビーチや、塩湖、キャラバンサライ、島など、見どころが点在していますので、それぞれの興味に応えてくれる懐の深い国ですよ!
一度の旅行で行ける世界遺産の数は何個?
トルコの世界遺遺産は地理的に散らばっているため、通常は2~5つくらいの遺産をめぐる旅程が多いです。
ただしイスタンブールからの大周遊で、ブルサ→トロイ→ペルガモン→エフェソス→アフロディシアス→パムッカレ→チャタル・ヒュユク→カッパドキア→ハットゥシャ→サフランボルという流れで、だいたい2週間くらいでアレンジ可能だと思います!
トルコは日本語を話すガイドも多く、基本的にとても自由に旅行をアレンジできる国です。興味にあわせてオリジナルのプランを考えてみてくださいね。
トルコの有名&人気のモスクは?
すでに本文にも記載していますが、トルコではモスクのことをジャーミー(ジャーミィ)と呼びます。
人気のモスクとして不動の地位を確立するのはやはりスルタン・アフメット・ジャーミー、通称ブルーモスクです。言葉で表現できない美しい世界が広がります。
その他のモスクでは、スィナンのスレイマニエ・ジャーミーや、クルチ・アリ・パシャ・モスクも人気。筆者自身の好きなモスクは、リュステム・パシャ・ジャーミーです。趣向の異なるエディルネのエスキ・ウル・ジャーミーもとても良いです。
また最近世界遺産登録に至った中世アナトリアの木造モスクもとても素敵!アンカラやコンヤへ訪れた際には時間が許せば立ち寄って頂きたいと思います。
やっぱりトルコ料理!ケシケキは無形文化遺産に
トルコへ行ったら、やっぱり料理を楽しみたいですね!パンもお肉も野菜も美味しい、世界三大料理。日本人の口にも合いますので、トルコで食に困ることはないと思います。
そんなトルコ料理の中で、無形文化遺産に「ケシケキ」というメニューが登録されています。伝統的な料理で、麦、肉、ミルクなどを煮込んだ、おかゆのような一品ですが、料理そのものだけではなく、これにともなう文化的側面を含めての価値があります。
儀式や儀礼と結びついた背景があり、お祭りや特別な時に、時間をかけ(一晩煮込む)、家族で時間をシェアしながら作るもの。言わば「食の世界遺産」、トルコに訪れた際には機会があれば食してみてください!
トルコ世界遺産のランキングは?
厳密な世界遺産の人気ランキングではありませんが、弊社へのお問い合わせはだいたい以下の順で多いです。以下ご参考までに♪
① イスタンブール
② カッパドキア
③ パムッカレ
④ エフェソス
⑤ サフランボル
⑥ トロイ
⑦ エディルネ