遺跡、街、自然!チュニジアが誇る8つの世界遺産を個人旅行専門店がご紹介♪
北アフリカに位置するチュニジア。
アフリカというとなんだか遠く感じますが、地中海を隔てすぐそこにはイタリアという立地で、意外とヨーロッパの近くです。
チュニジアを地図で見てみると周囲の国々に比べて国土が小さいのがわかります。ですが、地中海に面した美しいリゾートや魅力的な街、遺跡、南部には砂漠まで、ひとつの国のなかでも多種多様な顔を持っていて、色んな楽しみ方ができる国なのです。
数あるチュニジアのみどころの中でも、当記事では「世界遺産」にスポットを当ててご紹介していきたいと思います。
Contents
まずは基本情報!チュニジアの行き方、時差、言語は?
チュニジアの行き方
日本からチュニジアへは直行便は運航していないため、中東やヨーロッパの都市を経由する必要があります。国際線の空港がある玄関口は首都のチュニス。
チュニジアと日本の時差
日本との時差は8時間。サマータイムはありません。(2022年現在)
チュニジアの言語
公用語はアラビア語ですが、フランス語も広く使われています。ホテルや観光地では英語が通じますが全体的に通用度は高くありません。
弊社のチュニジアツアーでは、空港到着時に日本語係員がお出迎えし、周遊ツアーでは係員が一緒にまわりますので英語が通じなくても安心してチュニジアをまわることができます。ぜひ弊社までご相談くださいね。
チュニジアの8つの世界遺産
チュニジアの世界遺産は、北部から中部にかけて点在しています。その内訳は、遺跡が主に古代カルタゴからローマ時代のもので4つ、街はアラブ・イスラム関連で3つ、そして自然遺産が1つ。
早速ご紹介していきます!
チュニスの旧市街(メディナ)
チュニスは新市街と旧市街に分かれており、ヨーロッパ風で都会的な新市街とは対照的に、旧市街ではアラブの雰囲気がたっぷり味わえます。
新市街のメインストリートである「ハギブ・ブルギバ通り」から続く「フランス通り」の先に、旧市街のメインゲートである「フランス門」がそびえ立ちます。フランス門をくぐれば大きな「ビクトワール広場」があり、その先に迷路のような旧市街が広がります。
旧市街の細い道には、日用品、服、お土産品などが所狭しと並んでいて、地元の人や観光客でにぎわっています。歩くだけでとっても楽しいですよ!
★チュニスについて詳しくは下記記事をご参照ください。
地中海を望むチュニジアンブルーの街「シディ・ブ・サイド」と世界遺産の首都「チュニス」の観光情報を解説!
カルタゴ遺跡
古代カルタゴは、もともと紀元前9世紀ごろにフェニキア人が築いた街です。地中海での海上交易によって栄えていましたが、勢力を拡大していたローマ帝国との間に紀元前3世紀ごろから3度のポエニ戦争が起こりました。
第二次ポエニ戦争では名将「ハンニバル」の活躍により一時は優勢になったカルタゴでしたが、その後のローマ軍の反撃により、第三次ポエニ戦争を経て街は徹底的に破壊されてしまいました。そのため、カルタゴに残る多くの遺跡が、ポエニ戦争後に建設されたローマ時代のものです。
主な遺跡として3つ紹介します。
ビュルサの丘
古代カルタゴの中心だった場所。柱などはローマ時代のものですが、その下の層から古代カルタゴのものとみられる住居跡が発掘され、数少ないフェニキア人の遺跡とされています。丘から眺める景色も素晴らしいですよ!
※2022年現在、ビュルサの丘にあるカルタゴ博物館は改装工事により休館中です。
アントニヌスの共同浴場
2世紀に当時のローマ皇帝であったアントニヌスによって建設されました。
ローマの浴場をテーマにした漫画・映画「テルマエ・ロマエ」のヒットもあり、ローマ人がお風呂好きだったことを知っている方も多いのでは。ちなみにアントニヌスは、作中で皇帝であるハドリアヌス帝の、次の皇帝です(アントニヌスも作中に登場しますよ)!地中海を目の前に入るお風呂はさぞ気持ちよかっただろうな~、と想像が広がりますね。
トフェ(タニト神の聖域)
こちらも貴重なローマ時代以前のカルタゴ遺跡です。古代カルタゴの神、バール・ハモンとタニトが祀られた神聖な場所で、ここから子供の墓が多数発掘されたため神に子供を生け贄として捧げたのではないかという説がありますが、真相は定かではありません。
ほかにも、古代カルタゴの港(軍港)やローマ人の住居、ローマ劇場などの遺跡が点在しています。
ケルクアンの古代カルタゴの町とその墓地遺跡
ケルクアンは、チュニジアの北東に突き出す「ボン岬」の先端に位置しています。
ここもフェニキア人による古代カルタゴの街で、現在残っている遺跡は紀元前4世紀ごろのものと推定されています。第一次ポエニ戦争の間に放棄され、その後400年ほど存続した後、なぜかローマ帝国によって再建されることもなく埋もれていたそうです。そのため大変貴重な、純粋なフェニキア人による古代カルタゴの遺跡として残っているのです。
ドゥッガ遺跡
チュニジアに多く残るローマ時代の遺跡の中でも、規模が大きく見ごたえ抜群!
ドゥッガはローマ帝国の支配下になった後、2~4世紀に最盛期を迎え、当時の人口は1万人以上だったと言われています。ビザンチン帝国下では要塞化されましたが、その後この地に町が築かれることがなかったため、保存状態の大変良い遺跡として残っています。
劇場
入場して一番最初に見える壮大な半円形の劇場は、観客席を上まで登ると遺跡を見渡すことができます。舞台越しに広がる豊かな緑の景色もとっても素敵です。
キャピトル
ユピテル、ユノー、ミネルヴァのギリシャ神話の3神を祀った神殿で、ドゥッガ遺跡のシンボルともいえる存在。
堂々とそびえ立つその姿はまさに圧巻、すさまじい存在感を放っています。
エル・ジェムの円形闘技場
ローマのコロッセオよりは少し小さいですが、数ある円形闘技場の中では大きく、保存状態はローマよりむしろこちらの方が良いと言われています。
闘技場では、剣闘士の戦いや、奴隷・罪人と猛獣の戦いなど、残酷な見世物が頻繁に行われていました。並ぶアーチ型がとても美しく、建物自体はたいへん迫力があります。
ケロアン(カイルアン)
ケロアンは、7世紀より北アフリカでのイスラム発祥の地として、そしてアラブ王朝の首都としての街の繁栄と共に、「聖都」としても重要な役割を果たしていました。
11世紀にイスラムの派閥争いによって街が破壊され、その後首都としての役割や繁栄が戻ることはなく、現在はチュニジア第4の都市とされています。
しかしながら聖都としての役割や重要性は変わらず、イスラムの世界ではメッカ、メディナ、エルサレムに次いで4番目に重要な聖都とされており、ケロアンへの7回の巡礼は、メッカへの一度の巡礼に値するそうです。
グランド・モスク(シディ・ウクバ・モスク)
北アフリカ最古のグランド・モスクで、7世紀に建てられました。イスラム教徒しか礼拝堂内部には入れませんが、門内に入ることは可能です。広い中庭の地面は大理石、中庭を取り囲む美しい回廊はローマ・ビザンチン遺跡から流用されているらしく、荘厳で堂々とした雰囲気です。
入場の際は露出の少ない服装で、女性は入り口でスカーフを借りて頭に巻いて入ります。
シディ・サハブ霊廟
預言者ムハンマドの同志である、アブ・ザマ・エル・ベラウィが眠っています。「シディ=聖人/サハブ=友人」という意味で、彼はムハンマドと共に旅をし、専属床屋でもあったようです。ムハンマドのあごひげを常に3本持ち歩いていて、それも一緒に埋葬されているとのこと。お墓は神聖な場所なのでイスラム教徒しか入れませんが、それ以外の部屋ではとても美しいタイルや装飾が見られます。
アグラブ朝の貯水池
9世紀のアグラブ朝時代に建設されたもので、1969年に修復されたものではありますが、なんと今でもケロアン市民の大切な水源だそう。現在は4つしか残っていませんが当時は14もの貯水池があり、当時では最高の技術を取り入れたものでした。
ビル・バルータ
メッカに通じるという伝説をもつ井戸があり、その井戸の周りをラクダが歩くと水が汲み上げられる仕組みになっています。(筆者が訪れたときは残念ながらラクダは休憩中でお仕事をしていませんでした。。)
スースの旧市街(メディナ)
スースは“サヘルの真珠”と言われており(チュニジアの東海岸地域をサヘルと呼びます)、チュニジア第三の都市でありながら、ビーチリゾートとしても人気です。
もともとは紀元前9世紀にカルタゴ同様フェニキア人によって造られた街ですが、そのずっと後の7世紀からアラブ人に侵攻され、アグラブ朝時代は主要港として栄えました。世界遺産である旧市街は、アラブ風の街並みが残っています。
グランド・モスク
当時は要塞の役割も果たしていたためかシンプルな建物となっていて、グランド・モスクとしては珍しく旧市街の端に位置しています。
また、モスクなどのイスラムの宗教施設には、通常「ミナレット」という塔が付随していますが、スースのグランド・モスクはチュニジアで唯一ミナレットを持たない珍しいモスクです。
リバト
グランド・モスクの向かいにあります。8世紀に建てられたスースの旧市街に残る最も古い建物で、こちらもモスク同様に街を守る要塞の役割をしていました。リバトに登ると、モスクや港、メディナの風景を眺めることができます。
イシュケル国立公園
チュニジア北端に位置しており、北アフリカでは珍しい大湿原とイシュケル湖で構成されています。
かつてはヨーロッパから飛来するたくさんの渡り鳥の中継地でもありましたが、ダムの建設により、湖に入る塩水と真水の割合が変わってしまったことで独自の生態系に影響を与えてしまい、現在は渡り鳥の数がかなり減少してしまったようです。
このことから1996年には危機遺産リストに登録されましたが、真水を増やす努力が続けられ、2006年に危機遺産からは解除されています。
ケロアン・スースのホテル紹介
ケロアンは中部観光の起点となる街。スースは世界遺産の旧市街観光だけでなく、のんびりとリゾートとしての滞在も素敵です。
それぞれのおすすめホテルをご紹介いたします。
ラ・カスバ(ケロアン)★★★★★
かつての城塞(=アラビア語でカスバ)を改造した5つ星ホテル。
旧市街の端にあり、外観は城塞の厳格な趣き、内観は壁にタイルが使用されていてアラビアンな雰囲気を味わえます。
La Kasbah
3140 Rue de La Kasbah, Kairouan,
公式サイト
スース・パレス(スース)★★★★★
旧市街より北のビーチエリアにリゾートホテルが多く建つスースの中で、旧市街へもビーチへも徒歩数分という立地の貴重なホテルです。
5つ星ですが、豪華で優雅な滞在というよりは、立地重視、かつそれなりのクオリティを求める人におすすめです。
Sousse Palace
Avenue Habib Bourguiba 4000 Sousse
公式サイト
まとめ チュニジアの世界遺産をまわるなら「個人ツアー」がおすすめ!
チュニジアの世界遺産の魅力をご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。
先述の通り、チュニジアの世界遺産は北部から中部にかけて点在しています。なかなか行きづらい場所もあるため、それらを公共交通機関を使って個人でまわるのは至難の業。
もちろん大手団体ツアーを利用する方法もありますが、その場合は自分の好きなところへ行けなかったり、待ち時間が長かったりと、満足できないことも…
そう考えている方のために「スペースワールド」はリーズナブルかつお客様のご希望に沿った個人ツアーを提供しています。弊社のチュニジアツアーでは、基本的に専用車やプライベート係員をお手配!点在する世界遺産も専用車ならラクラク移動でき、なかなか英語が通じにくいエリアでも係員が一緒なら安心。ぜひスペースワールドにお任せください!
スペースワールドのチュニジアツアーについては以下のページで詳しく紹介しています。
それでは最後に、チュニジア旅行によくある質問を一問一答形式で紹介します!ぜひご活用くださいね。
チュニジア観光Q&A
おすすめの観光の時期は?
暑すぎず寒くもない春と秋がベストです。ただ、温暖な地中海性気候のため冬でも寒すぎるということはありません。
夏場はかなり暑くなりますが、乾燥しているため都市部のみの観光なら可能です。ただし砂漠方面にも行きたい場合、夏は注意が必要です。
旅行日数はどれくらい必要?
チュニスやスースのみなど、都市部のフリープランであれば6日あれば十分満足できます。
周遊の場合はまわりたい場所の数やその距離にもよりますが、北部~中部であれば7日間から、南部まで行く場合は8日間以上が目安です。
ただ、時間がなくても砂漠まで行きたい!という方のために、国内線を使って7日間で砂漠も楽しめるスピーディーなプランもご用意しています。
一人旅でも大丈夫?
もちろん大丈夫です!これまでに女性の一人旅のお客様も多くいらっしゃいます。
弊社のツアーでは空港に日本語係員がお出迎えしホテルに送迎しますので、色々と聞くことができて到着時の不安も解消できますよ。
周遊ツアーでは係員が同行し専用車で移動しますので、一人旅でも安心してチュニジアを楽しむことができます。※ツアー内容によっては英語係員の対応となります。
もう一か国行くならどこ?
中東系の航空会社を利用する場合は、中継地であるドバイやトルコを組み合わせると効率よく2か国をまわることができます。
また、同じ北アフリカの国であるモロッコや、チュニジアとゆかりが深いフランス・パリ、もしくはチュニジアのローマ遺跡を見た後にイタリア・ローマに行くという選択肢も面白いですね!